都内にオフィスを持ち、横浜の郊外に住む公認会計士 小ヶ内さん。
企業の不祥事が続く中、会計士の仕事も社会からの厳しい目が向けられている。
「今の世の中間違ってないか?」
そんな小ヶ内さんの週末。どんな時間の過ごし方をしてるんだろう。
公園の清掃を一人で続けていると言う。そんな週末の素顔に会いに行った。
みなさんこんにちは。公認会計士の小ヶ内信行です。
企業の経営コンサルタントをやっています。
経済的利益の追求をその目的としている企業のコンサルテーションをしているものが言うのも変ですが、企業も、その組織を動かしている人間も、本当に大切なものを見失っているように感じています。
勝ち負けだったり、早い遅いだったり、大小だったり、比べること自体は悪いことではありませんが、
そこに優劣を見ている事に問題があるように思います。利益が大きい企業だけが素晴らしいのか・・・?
大が小を認め、小が大を妬まない。
負けが勝ちを称え、勝ちが負けに優越しない。
早いものが遅いものの意義を見つけ、遅いものは早いものに劣等しない。
あきらめるという表面的な次元のことではなく、その互いの存在を理解し合うことが必要と感じているだけです。
経営学の動機付け理論の基礎となっている心理学の欲求階層説という理論があります。
人間の欲求を五段階に区分し、人には自らの欲求を追及する順番があるというものです。
順に、生理的欲求、安全への欲求、社会的欲求、自我の欲求、最高位に位置するのが、自己実現欲求です。言い方を変えると、食欲・性欲・睡眠欲・金銭欲、自分や家族を守りたい、人や地域、社会とかかわりたい、他人から認められたい・尊敬されたい、という風に欲求の階層を登ってゆきます。
自己実現欲求は、自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を追求する欲求です。
この理論が当てはまるとしたならば、人がこの地球に生まれて相当な時間が過ぎ、幾世代もの経験と思いを受け継いでいるはずにもかかわらず、私も含めて、自己実現の欲求を満たすまで行けてません。
もちろん、行けてる方もいるでしょうが。
それは、何故でしょうか?
きっと、優劣をつけ続けているからかもしれません。自分が、生きてゆく上で大切な判断基準を他人様のものばかりを使ってきたからかもしれません。
自己実現の「自己」とは、顕在、潜在を問わずの自分ですから、私は、本来的には自己実現欲求の追及をする場合には、その達成度合いを他人のものと比較し優劣を決めるべきものではないように思います。
他人と比べ優劣を決めちゃうから、心が乱れ、自分を見失っているのでしょう。
今年になって、なんとなくはじめた、公園掃除ですが、公園掃除を始めて、最初のころは、「何で、平気でこんなところに、こんなものを捨てられるのか・・・信じられない!自分の家でもそこら辺に捨てるのか?」という気持ちがありました。つまり、心がひどく乱れて、イライラ、カリカリしていました。でも、今はその状態が少しずつなくなっていってるように思います。
そもそも、ごみを捨てた人を恨みたいから、やっているのではなく、公園がきれいだとちょっと気持ちがいいと感じる、自分のためにやっていることに思えたし、実際本当に気持ちがいい。まあ、少しは、近所の人のためにもなってるかな。
この事が、世の中をよくしているとは決して言えないかもしれません。でも、世の中での最小単位は一人一人ですから、一人一人が、自分を認め、人を認め、理解し、出来ることをやってゆくことで、無益な争いのない、心静かな世界が実現するように思っています。